1950-10-23 第8回国会 衆議院 水産委員会 第17号
○木本参考人 現在私どもの関係しておりますフイッシユ・ミール輸出組合の会員は二十九名おります。それは全部貿易業者のみであります。戦前におきまするミール組合と申しますのは、生産者と輸出業者とほとんど半分々々の組合でございましたが、職後われわれがこの会を創成いたしますときに、生産者の方々にもお諮りしようかというような説もございましたが、それは将来のことにして、とりあえず輸出業者だけ集まろうじやないかということで
○木本参考人 現在私どもの関係しておりますフイッシユ・ミール輸出組合の会員は二十九名おります。それは全部貿易業者のみであります。戦前におきまするミール組合と申しますのは、生産者と輸出業者とほとんど半分々々の組合でございましたが、職後われわれがこの会を創成いたしますときに、生産者の方々にもお諮りしようかというような説もございましたが、それは将来のことにして、とりあえず輸出業者だけ集まろうじやないかということで
○木本参考人 それは両方とも出ておりましたお説の通りいわしが大部分でありまして、ただいま申し上げました十万トンの中で七万トン余りはいわしでございました。機械でやつた方は機械ミールと言い、今の日本のいわしかすを乾燥したやつは乾燥ミール、あるいは天日ミールというような両方の名前を使いまして、両方とも出ております。
○木本参考人 御指名によりまして御質問に対してお答え申し上げたいと思います。今松田さんからお話のありましたように、フイッシユ・ミールは、日本の輸出水産物の中でも非常に重要なものでございまして、戰前は一番多いときには、日本から十万トン以上のものが輸出されたのであります。従いまして、戰後私どもは早くからフイッシユ・ミールの輸出の再開ということを熱望いたしまして、その時分いろいろ統制その他やかましい羈絆がありました